日々楽しく、自由きままに!

気まぐれおやじの日々の出来事や趣味の旅行記を綴っています

親父と酌み交わした酒

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はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

皆さんこんにちは、こんばんは!

本日も気まぐれおやじのブログにご訪問ありがとうございます

おいらは今日も「日々楽しく、自由きままに!」

 

今から35年前の話しです

当時私は22才で、東京で一人暮らしをしていました

高校を卒業後、東京で就職する事になっって4年、実家に一度も帰らなかった私が、唯一帰ったのがその年の5月の連休の時でした

 

友人の結婚式があり、始発の新幹線で大阪に戻って来ました

高校時代の友人で同じ22才、一番早く結婚した友人です

披露宴後二次会となり、その後結婚式に参加した別の友人の家に泊まらしてもらう予定だったので、実家に帰る予定はしていませんでした

 

翌日東京に戻る直前になって、何となく母親の顔が思い浮かんだんです

「おかん元気にしてるんやろか?」

 

自分で言うのもなんですが、中学、高校とヤンチャしてた私が、一番迷惑をかけていたのが母親です

親父とは中三ぐらいから殆ど会話はしていません

 

親父と顔を合わすのは嫌だったのですが、ま~ちょっとだけおかんの元気な顔だけ見て帰ろうかって、軽い気持ちで実家に寄る事にしました

 

実家に着くと、当然母親は4年ぶりの帰省に大喜びです

「夕飯食べて行くんやろ?」

「今晩泊まって行くんやろ?」

と矢継ぎ早に言って来ます

「いや!今日帰る予定や」と言っても

「明日帰ったらいいやん、今日は泊って行き」と、半ば強制的に言って来ます

 

リビングでは、親父が釣りの仕掛け作りをしています

私の顔をみて「おぅ!帰って来たんか?飯食って行けや」

相変わらずぶっきらぼう な感じです

ただ以前の親父とはチョット違うのを感じました

 

これまでの親父だと、「おぅ!帰って来たんか?」の後の、「飯食って行けや」は無かったと思うんです

なぜなら私が親父と顔を合わすのが嫌な様に、親父も私に距離を置いていたと思うんです

親父の「飯食って行けや」が決め手となり、結局一晩泊っていく事に、翌日東京へ帰る事になりました

 

母親は、私が急に帰って来たので、私の好物を作ろうと張り切っています

私は、親父と二人きりになるのが嫌だったので、ある物でいいと言ったのに、母親はサッサと買い物に出かけて行きました

 

今、この家には親父と二人きり、どちらも声をかける事無く重い空気が漂います

するとおもむろに親父が立ち上がり、冷蔵庫から一本のビールを持ってきました

「ま〜一杯いけや」と、ビールをグラスに注ぎました

慌てて注ぎ返そうとしますが、親父は自ら注いで一気に飲み干しました

空いたグラスに今度は急いで注ぎます

生涯こんな緊張してビールを飲んだのは初めてです

 

「仕事はちゃんと行っとるんか?」

「東京での生活はどないや?ちゃんと飯食っとるんか?」

 

こんな言葉が親父から出て来るとは思いもしませんでした

親父は親父なりに心配してくれていたみたいです

この時ほどお酒の力って凄いなと思った事はありません

 

その後母親が帰ってきて、「何や、もうやってるんかいな、直ぐ料理を用意するわ」と言って、少し緊張感が薄れました

その後も何度かビールと日本酒を酌み返し、酒の力もあってか、親父とも会話しながらの夕食となりました

親子三人水入らずの夕食っていつ以来だろう

おそらく小学6年生の時以来か?

 

東京に戻って数週間後、母親から電話が・・・

「親父が緊急入院した」と

近くの市民病院に言ったら、ここでは治療出来ないので専門の大きな病院を紹介すると言って、市民病院から救急車で別の病院に搬送されたそうです

その病院の先生から説明したい事があるから話しを聞いてくれないかと言う

急に言われてもすぐには行けず、どうせ大げさに言っているだけだろうと思っていました

その時は、「取り敢えず週末に帰るから話を聞いておいて」と言って電話を切りました

 

その二日後、集中治療室に入ったと電話があり、明らかに母親は動揺しているのが感じられます

「何が起こっているんや?」

東京と大阪の距離、仕事の都合、今すぐにでも駆け付けたいが出来ないもどかしさ

 

週末実家に帰るより真っ先に病院へ

担当医から病状を聞くと、特発性間質性肺炎だと

聞いた事の無い病名

「肺炎?」

そう言えば実家に帰った時、親父が嫌な空咳をしていたのを思い出しました

 

病院の帰りに本屋に寄り、医学百科を立ち読みすると、難病の文字と診断確定後の平均生存期間は3~5年間と言う文字が目に入った

「親父難病で、3~5年で死ぬんか?」

 

状況はどんどん悪い方に進行し、緊急入院から一週間後には気管挿管、一切の会話も出来ない状況に

その状況下、懸命な医者の努力も実らず、梅雨が明け、蝉が元気よく鳴き出した暑い日、入院してたったの2ヶ月で旅立った

まだ46才の若さだった

 

友人の結婚式の翌日に、東京に帰っていたならば、親父と酒を酌み交わし、会話もする事も無く、気まずい関係のままお別れする事になっていたかもしれない

あの時が最初で最後の親父と酌み交わした酒

 

蝉が元気よく鳴き出す暑い日

一生忘れる事は無い親父と酌み交わした酒

もっと一緒に飲みたかった

今年もまた蝉が鳴き出す時期が来た

 

今回も最後まで読んで頂き

ありがとうございました

では、また。。。

 

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