皆さんこんにちは、こんばんは!
本日も気まぐれおやじのブログにご訪問ありがとうございます
おいらは今日も「日々楽しく、自由きままに!」
改めまして
皆さん、明けましておめでとうございます
本日より気まぐれおやじは、2022年の仕事始めです
と言う事で
ブログの方も今日から再開していこうと思います
前回のブログでは、多くの方がブッコメやコメント、スターで、新年のご挨拶を頂きありがとうございました
こんなに沢山の方に応援して頂いているんだと、改めて身が引き締まる思いです
本年も皆さんの応援無しでは、頑張っていけません
どうか、本年も宜しくお願い致します
さて、新しい年を迎えました
改めて、今自分がここに存在している事に喜びを感じます
大きな病気もせず、怪我もせず、生かされている事は当たり前ではなく、偶然の重なり合いのお陰だと感謝しています
年齢を重ねてくると、若い頃は信じていなかった神様や仏様、守護霊とか、目に見えないものの存在を信じるようになるみたいです
何か不思議な力が作用している
あの時、あのお陰で事故に遭わずに済んだ
みたいな経験が皆さんにも一度か二度はあると思います
子供の頃、両親から「悪いことをしたら誰も見てなくても神様が見て居るよ」とよく言われました
神様なんか居るの?そう疑問に思いつつも、何と無く悪い事をしたら何か罰が当たるような不安感を刷り込まれたものでした
でも実際には「正直者が馬鹿を見る」と思う事が多々あり、こんなに真面目に一生懸命に生きているのに、何でおいらばかり貧乏クジを引かされるんだ!
神様が居るならおいらの前に現れて欲しい!
そう地団駄踏んだ事もありました
でもこの歳になり、やはり神様は居るんだ、と感じる様になりました
と言うのも、ずる賢さでだけで上手く世渡りをしていた友人達は、その内面の醜さが外見に表れているからです
目付き、人相、身体つき、歩き方、喋り方、笑い方、所作に、至る処に表れています
若い時は若さで誤魔化せた内面のズルさが、歳を取って露呈してしまってます
「顔は履歴書」とは言い当ててます
やはり神様は見ていた様です
それで、我が家では毎年初詣に出掛けて、お祓いをして貰ってます
おいらのお願いに耳を傾けて下さるのであれば、神様、仏様、ご先祖様頼みです
気休めではなく、本当にご利益はあるみたいですよ
以前、鬼嫁と初詣に出掛けて喧嘩してしまい、お祓いをせずに帰宅した事がありました
その年は災難続きで、早く年が変わらないかと思う程でした
そんな痛い目にあった経験から、初詣とお祓いは必須行事なんです
お祓いの申込みの用紙に、それまで「家内安全」と記入していたのですが、今は「心願成就」と書いています
何故かと言うと、鬼嫁が「家内安全」と書けと言っていたので、何の疑問も持たずに書いていました
しかし、鬼嫁は「家内」=「妻」で、「安全」=「平穏無事」の意味だったらしく「鬼嫁に災いが無く、平穏無事に一年を過ごせます様にお願いします」と願掛けしていたんだそうです
普通は「家内」=「家の中」や「家族」でしょ
鬼嫁って自分の事しか考え無いそう言う奴なんです
それを聞いて怒り心頭ですよ
「馬鹿にするんじゃねぇー!」
おっと!、新年早々興奮してしまいました
それで元日に、初詣とお祓いをして頂きました
やはり、清々しい気持ちになりますね
何をお願いしたでしょう
それはやっぱりコロナが終息し、仕事に恵まれます様にです
あとは健康もね
おいらの仕事は、才能と努力だけではダメなんです
運も大事なんです
だから運を引き寄せなくっちゃならんのです
運って、ご縁の様なもので、いわば外交かな
色んな方に「気まぐれおやじ」の存在をアピールする事
そう思ってます
だから、年賀状は大事なんです
最近SNSの普及で年賀状を書く人が減っています
しかしおいらは未だに出し続けています
でも、周りから「気まぐれさん、きっちりしてるね」とよく言われるんですが、年賀状の差し出し人の名前をよく書き忘れます
たまに皆さんの所にも、「誰?」って差し出し人無記名の年賀状が届く事ってあるよね
毎年何人かにあのパターンをやらかすんです
でも一見完璧主義に見えて、どこか抜けてるのって、そのギャップがいいでしょう?
こんなチョット抜けてる気まぐれおやじですが、今年もよろしくお願いします
今回も最後まで読んで頂き